file06 管野泰久氏(修道中学・高等学校 国語教諭)

授業でつい寝てしまう生徒にも興味を持って欲しいと、古典文法の必須事項をラップで覚える方法を編み出した。それが好評を博し、生徒にも良い結果をもたらしている。その他にもバンドバージョンなどがあり、ビデオも制作。今年4月にはテレビ朝日系列で全国放送された「ナニコレ珍百景」で紹介され、「ラップで国語を教える先生」がいる学校として、日本一の珍学校の栄誉に輝いた。

学校への感謝の気持ち

社員O

そもそもラップで授業をしようと思ったきっかけはなんだったんですか。

管野

今のような方法で授業をし始めたのは高3の選択授業の担当になった16年前のこと。その授業は、クラブ活動に力を入れていた生徒が多くて、学業は基礎から学んでいかなければならない子たちが集まっていました。当時、私が教職に就いてまだ2年目だったことを考えると、何かやってくれそうだと見込んでのことだったのかもしれません(笑)私が高校生の時、古文担当の先生から古文の助動詞を覚えておいたら楽だと言われ、実際に覚えると理解が進んだことを思い出したんです。また、プレイステーションで「パラッパラッパー」というリズムゲームが流行っていた時期でもあり、リズムにのって覚えると楽に覚えることができるのではないかと思いました。それが助動詞ラップを始めたきっかけですね。

社員O

助動詞ラップを始めたときの生徒や周囲の反応はどうだったんですか。

管野

最初、ラップの機材を担いで授業に行ったときは、みんな驚いていましたよ(笑)でも、運動部の子はロックバンドをしている子も多くてノリが良かったので、すぐに馴染みました。また「修道」とは「道を修める」と書きますが、それぞれのキャラクラーを活かし、自分の選んだ「道」を突き進めという校風なんです。その寛容さから、事情があり途中で学校を去った後でさえもいまだに愛校心を持ってくださっている著名人も多くいます。だから、私の「珍授業(笑)」に生徒も教員も寛容でした。ほかの学校との交流会などで、「全ての先生が同じようにでできないような授業はなかなかさせてもらえない」とうらやましがられることがあります。隣のクラスにも迷惑をかけていましたし(笑)だから「ナニコレ珍百景」で賞をいただけたのも学校と生徒のおかげです。学園にも、校長にも、いつも感謝の気持ちを持って働かせていただいています。

目の前にいる人たちの役に立ちたい

社員O

先生になろうと思ったきっかけはなんだったんですか。

管野

高校の頃は東大理Ⅲ(医学部)を目指していたのですが、物理が致命的に悪くて(笑)一方で国語教師であった母の影響もあり、国語の成績はトップクラスでした。恩師に勧められ、高2に上がるときに文転し、自分が本当は何をしたいか突き詰めて考えたときに、「目の前にいる人たちの役に立ちたい」という想いが一番強いことに気づいたんです。それならば、医者になって人の命を救うことも、先生になって世界の未来を育むことも同じベクトルであると考えるようになったんです。

社員O

そこで初めて教師への道が開かれたんですね。

管野

早稲田大学文学部に入学後は、オーケストラに所属していました。実は、中学では仲間と吹奏楽部を立ち上げ、高校でも吹奏楽部の副部長を務めていたんですよ。今はロックバンド部の顧問なんですが(笑)高校在学時は、部の方針で基礎力を上げることに、大学4年生のときは若手を育てることに専念していたので、自分たちが演奏できる機会は決して多くはなかったと思います。けれどそのような中で、縁の下で努力するよう鍛えられました。今では広島のアマチュアオーケストラ5団体のステージマネージャー(裏方の責任者)をさせていただいています。そのような仕事が好きなんですね(笑)よく頭の切り替えが早いといわれますが、根底には未来の子どもたちのために何かしたいという想いがあるので、切り替えはいらないんです。だから、地域の様々な活動にも積極的に取り組んでいますし、ブレることがありません。

社員O

ラップという特異な面が際立っていますが、学校も、保護者も、生徒も、管野先生の生徒への想いを理解してくださっているんですね。

毎日100%で生きる努力をする

管野

ブレないといえば、この部屋に入るまでに何かお気づきになりませんでしたか。(※今回はご自宅の3階の自室にてお話を伺いました)。実は玄関からこの部屋まで階段を使って、家族との接点なしに上がることができるよう設計してあるんです。

社員O

なるほど。玄関脇の階段でこの部屋まで直行できるんですね。

管野

そうなんです。事情があって家に帰れなくなった生徒やなかなか学校に来づらくなっている生徒が遊びに来たりして、ここで相談に乗ったりもします。今日も午後から生徒が遊びに来ることになっているんですよ。普段からお酒も飲まないようにしています。いつ、なんどき生徒からメッセージがあるかもしれないですから。生徒にいつでもつながっていると感じてもらうことが大切なんです。これは仕事ではなくて、かつてはたくさんいた「近所のおじさん」という役割を意識しています。

社員O

教師として、近所のおじさんとして、多忙を極めていらっしゃるんじゃないですか(笑)

管野

以前、同僚教師にそんなに不登校の子どものところに通って潰れないのかと心配していただいたことがあります。そのときは、返答に窮しましたが、今なら答えることができます。120%で無理をすれば潰れてしまうかもしれませんが、毎日100%で生きる努力をしていれば、生徒もその想いを理解してくれます。仮に不登校の子どもが2倍に増えたならば、週に1回の訪問を、2週間に1回にしても良いんです。先生が100%で頑張って、時間の許す限り訪問するということが重要で、その想いは必ず伝わります。

人類の未来を信じる

社員O

先生がこれまで進化・挑戦したと感じられたのはどんなときですか。

管野

東日本大震災のときです。私は福島出身なので、いてもたってもいられなくて、すぐにでも福島に駆け付けたいという想いがありました。しかし、素人が被災直後の福島に行っても役に立たないという意見もあり、とても悩みました。震災直後から東京の大学に通っている教え子とメールのやりとりをする中で「先生は先生らしく、子どもを育てることで日本の復興を支えていってほしい」と言われたこともあり、結局福島には行かず、広島でできることをしようと決めました。この震災が起こるまでは、ただ修道中学高校の子どもたちが幸せになるお手伝いをすることで、世の中も少しずつ良くなるんだと漠然と考えていました。震災以降もっと大きな枠で、日本を、そして世界を考えるようになりました。

社員O

東日本大震災への支援として広島でどんなことに取り組まれているんですか。

管野

一つ目は、福島のことをもっと話すこと。二つ目は、福島に自分のできるだけのお金を寄付すること。三つ目は、未来を信じることです。実は「ナニコレ珍百景」の賞金も含め、今年4月に出版された「DVD付1分間古典文法180」の売上の一部も福島の支援に充てているんです。

社員O

三つ目の未来を信じるとはどういうことなんでしょうか。

管野

正確には「人類の未来を信じる。社会は良くなることを信じる。」ということです。現在は、科学技術がマイナス面で捉えられることが多いですが、もし地球に隕石が落ちてくるとして、それを阻止できるのは人類のみが有する科学技術に他なりません。知恵と心を一緒に磨いていくこと、それを修道では「知徳併進」というのですが、それによって必ず自分の道も人類の道も開けていくはずです。今の目標は、できるだけ多くの子どもたちとかかわること。もし地球の生命体が滅亡するような危機が迫ったときには、彼らが人類と社会の未来をよくしようという信念をもって、科学技術力や医学などで、世界を救ってくれると信じています。解決できないものに、何らかの解決策を見出していくことこそが、人間の叡智であり、その力を強く信じています。

2012.9 掲載




えんぎもん お祝いしてもらったクラッカーの万国旗

大学2年生の時、所属していたサークルの練習日が自分の誕生日と重なった日がありました。たまたま全く同じ誕生日の女性の友達と練習後に公園で話をしていると、1人の女性が「2人ともお誕生日おめでとう!」と駆け寄ってきたそうです。その女性は隣にいた友人にプレゼントを渡して「管野君はついでだよ」と言い、クラッカーを鳴らして足早に去って行きました。お祝いしてくれた気持ちが嬉しくて、その万国旗をとっておいたそうです。約2年後にその女性とお付き合いを開始、今では結婚して3人の子どもに囲まれて幸せに暮らしています。奥さんは、管野さんの「人のために一生懸命なところ」に惹かれたとのこと。「人のために一生懸命でいることの幸せを教えてくれたのは妻です」と語る管野さん。家族の理解と協力は地域の人や生徒が来訪することの多い管野家には不可欠。このクラッカーがそんなかけがえの無い家族を築くきっかけとなったのかもしれません。

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