File02 アンディ・レイキ氏

1959年、フランス・シャトルー生まれ。カリフォルニア在住の画家、メディアアーティスト、彫刻家。象徴主義、最小限主義に基づき「独自」のカテゴリーを確立。独特なテーマと驚異的な表現法により、プロの芸術家として成功した数少ない画家の一人。 ローマ法王・アメリカ歴代大統領も作品を愛蔵していることで知られる。それまで正式な絵の教育を受けたことがなかったが、トラウマ的な体験の後、1990年に突然絵を描き始めた。強迫性障害とうまくつきあいながら、天使の肖像をメインテーマとして、短期間のうちに画法、デザインのプロセス、テーマに磨きをかけ、数々の作品を生み出した。
「肉感あふれる独特のタッチは、目の不自由な人も触れることでアートを感じることができると、多くの人々から支持を受けている。収入の一部を社会的な寄付に当て、世界中の子どもたちのための慈善事業に力を注ぎ、エイズ研究、動物福祉、環境問題にも積極的に協力している。
制作に打ち込むあまり健康を害し、5年間活動を休止。一時は、生命の危機に瀕したが、現在ではほぼ全面的に回復。治療を続けながら以前にも増して、驚異的な作品を生み出し続けている。

“Birds of a feather flock together.(同じ羽をもった鳥が群がる)”

社員O

これまでの人生で進化・挑戦する上で転機となった出来事はありますか。

アンディ

1986年、私はドラッグの使用で生死の境を彷徨いました。両親はともにアルコール依存症でしたし、子どもの頃はそれが当たり前で、間違ったことだとは思っていなかったんです。1986年に初めて、過去自分が信じていたことが、間違いだったと言うことに気がつきました。そのような犯罪の多くは、子どもたちが望んだのではなく、取り巻く環境がそうさせています。だから今では私のような子どもを増やさないため、チャリティイベント等で両親と子どもと両方から話を聞くように活動しています。

社員O

慈善活動に力を入れられているのはそういうわけなんですね。

アンディ

私はとてもラッキーでした。私がそのような環境に置かれた時、私のことを気遣ってくれる人が傍にいたからです。人生にはいくつもの分岐点があり、ポジティブにもネガティブにも、決断しなければならない時は必ずあります。もしネガティブな考え方の道を選ぶと、同様にネガティブな考えの人たちが集まってきます。“Birds of a feather flock together.(英)同じ羽をもった鳥が群がる(日)類は友を呼ぶ”です。私は周囲の協力もあり、ポジティブな集団に加わるよう選択することができました。それが私にとっては大きなターニングポイントになったと思います。そのおかげで私は、家族を大切にできるようになり、責任感を持てるようになり、そして芸術家になることができました。すべてはそこで前向きに考えることができるようになったからです。だから私は「ポジティブに生きる」ということの大切さを多くの人に伝えたいと思っています。

身を呈してポジティブな思考へ導いてくれたエルマン

社員O

今までの考えを180度変えるのはとても難しいことのように思われますが、何かきっかけがあったのですか?

アンディ

私をポジティブな考え方に導いてくれた人がいました。当時、私はエルマン・ホーリックという人と一緒に働いていました。彼はとても前向きな人で、私がドラッグをしていることが会社に知れて退職せざるを得なくなった時、彼は私をゴルフに誘ってくれたのです。ゴルフをしていると、必然的に歩かなくてはならなくなる、それが私にとってはとても効果的でした。当時は両親と離れて暮らしていましたし、父親は私にそのようなことはしてくれませんでした。エルマンは決してお説教したり、強制するのではなく、決断を私に委ねてくれる人でした。例えば、前向きになるための本を紹介してくれましたが、買い与えたり、強制はしませんでした。

社員O

エルマンさんとの出会いがあなたの考え方を変えていったのですね。

アンディ

また彼は、自己中心的に振る舞うのではなく、相手を思いやるということも私に教えてくれました。その時、私は26歳、彼はすでに60歳の禿頭のおじいさんでした。しかし、彼に髪がなかったのは単に抜けたのではなく、彼が癌であったからでした。そして、その2年後に彼は亡くなりました。激しい痛みを伴う化学治療の中、彼は私にその苦しい胸の内も明かさず、私をポジティブな方向に導くために常に助言をしてくれていたのです。私は自分に痛みがあっても人を助けることができるんだと知りました。




とにかくやってみよう!きっと何かが生まれる。

社員O

アンディさんの絵は凹凸があってとても特徴的ですが、絵を描き始めてから今のような独特の表現手法を確立されるまでにはどのような葛藤がありましたか。

アンディ

私がドラッグで生死を彷徨った1986年、そしてエルマンが亡くなった1989年。その数年の間に私は絵を描き始めました。その頃は全くの素人で、まだ何を描きたいかも決まらず、精神的にもポジティブになろうと悩んでいる時期でした。そんな中、エルマンは亡くなる直前まで、 “Try!”(挑戦しろ!)ということを私に言って聞かせました。彼自身にも挑戦せず悔いていることがあるようでした。そのことを思い出したので、「とにかくやってみよう!やってみたらそこにきっと何かが生まれる」と考えたのです。そして、1989年10月、私が30才の時に、自分でプロのアーティストになろうと決めました。もちろんまだまだ経験も技術も不足していましたが(笑)

社員O

絵を習ったことはそれまでなかったんですか?

アンディ

そうですよ(笑)10月に作品を作り始めて、3カ月は今とは全く異なる方法で絵を描いていました。しかし、翌年の1月に絵を描いていると、予期せずに別の溶剤が混ざってしまったのです。それが今のような表現手法になったきっかけです。しかしながら、自分の絵に満足ができるようになるまでには、やはり15年の歳月がかかりました。ちょうど2005年のことです。

自分の心と向き合うことが、進化・挑戦のきっかけに

社員O

あなたの絵に触れられた方が、幸運に見舞われるというような話もお聞きしますが。

アンディ

テレビのインタビューでも度々質問されますが、自分はとても不思議に感じますね(笑)もし素晴らしいことが起こるとすれば、それは絵がパワーを放っているのではなく、見る人の心の中にパワーが生まれてくるのだと思います。「絵を見ること」は、「remind(思い出させる)」パワーを持っています。例えば、過去にポジティブな本を読んでいれば、その記憶を思い出させるというように、その人の心の中にある前向きなパワーを目覚めさせるのです。想起されたことを、前向きに受け入れ、新しい一歩を踏み出すことで新しい道が開ける。多くの人が「心に訴えてくる」と言っていただけるのはそういう訳ではないかと思います。もし仮に絵自体にパワーがあるのなら、私の病気はとっくに治っていますからね(笑)

社員O

確かにそうですね(笑)

アンディ

結婚相手を見つけて欲しいとか、病気を治して欲しいと来られる方もいらっしゃいますが、それは誰にも出来ません。もし叶うとすれば、それはその人の心が変わった時です。私は画家として、いつも想いをこめながら誠心誠意絵を描いているだけです。

社員O

絵は単なる“Change(変化)”のきっかけで、私たちが進化・挑戦するためには、自身と対話し、方向性をクリアにした上で努力することが必要なんですね。

アンディ

私自身も、2〜3年前から病気を患い、手が震えてしまうようになりました。だから、今は指を使って描くという新しい手法を模索しているところです。私自身にとっても、今はまた“Change”の時なのです。

絵を描くことは自分を解放すること

社員O

指で描かれているからより温かみのある作品になっているんですね。アンディさんが病気をおしてまで描き続けるその原動力は何ですか。

アンディ

“release(解き放つ)“ということが、私たちには必要なのです。世の中にはストレスを始めたくさんの負の力があります。歌、スポーツ、ダンス、その方法は様々ですが、私はアートを通じて自分を解き放っているのだと思います。私は歌が歌えないので(笑)絵を描いている時は、自分の手からエネルギーが出ているような感じがします。エネルギーはいつも動いているので、体の中に入ってまた出て行くという動きがあるんですよ。

社員O

アンディさんにとって絵を描くことは職業を越えたもの、もう人生の一部なんですね。

アンディ

ありがたいことに、私は老後を過ごす為の貯蓄は蓄えており、いつリタイアしても良い状態なのですが、まだ動いていたいという気持ちが強いのです。もし絵を描いていなければ、ただの憂鬱な老人になってしまっているでしょうね(笑)そういう人はたくさんいますから。皆さんもぜひ自分を解き放てるものを見つけてください。


アンディ・レイキ氏訃報
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